2024/09/20 10:26

嗜好品だけでなくそれに関わる物事は、誠に興味深いものである。というのも、規制されればされる程、文化として発展を遂げるという側面があるからである。


たばこという嗜好品。煙を口に入れてただ吐き出す、それを繰り返すだけ。非喫煙者からすれば、一服というその「作業」は誠にくだらないものに見えてしまうだろう。しかし、その作業の中には素晴らしい世界が広がっている。一言では語ることの出来ない世界が、そこには有る。



たばこという嗜好品を愉しむにあたって現代において必要不可欠なもののひとつといえば、「ライター」だろう。釦を力強く押せば、簡単に点火出来る。では、ライターを発明したのは一体誰なのだろう?その原型を発明したのは実は日本人である。


そう、平賀源内である。江戸時代を代表する天才で発明家。彼は、愛煙家としてもよく知られていた。安永元年(1772)、彼はゼンマイを使用した火打石と鉄を用いた刻み煙草用の点火器発明したのである。


彼がこれを発明した背景には、当時の江戸においての状況が影響しているのではないか、と考えられる。というのも、当時の江戸は火事に悩まされていたからである。当時、出先で煙管を用いて喫煙するには、時計代わりにしていた火縄、もしくは火口(ほくち)が不可欠であった。家屋は木造、更に言えば人口密度が高い江戸という町。吉原以外の町中では路上喫煙が禁じられていた程である。


火事の多さ故に、路上喫煙が厳しく規制されていた時代。平賀源内はきっと、もっと手軽に安全にたばこを呑みたかったのだろう。現代ではライターは我々愛煙家にとって最も身近なアイテムとなった。











今から凡そ100年前、1920年から1933年まで、アメリカ合衆国において禁酒法が施行された。その結果、アメリカ国内においては、「闇酒場」を増加させてしまった。つまり、逆効果だったのである。

「闇酒場は、マフィアが牛耳っているし、いつ警察に摘発されるから分からない。心置きなくお酒を愉しみたい」

恐らくは、そう考えたアメリカ人も多かったのだろう。カリフォルニア州ハリウッドで働いていたアメリカ人は、アメリカとの国境に近いメキシコの町ティファナへ繰り出すことがひとつの流行となった。


それは1924年7月4日のことだった。シーザーズというホテル兼レストランのオーナー「シーザー・カルディーニ」は大ピンチに陥っていた。その日はアメリカの独立記念日。いつもよりも多くのお客さんが殺到したお陰で、殆どの食材の在庫が底を尽きかけている…しかも更に多くのお客さんがやって来た。


そこで彼は悩んだ末、カートにレタス、ガーリックオイル、レモン、卵、パルメザンチーズ、ウスターソース、クルトンとコショウを載せて、お客さんのいるダイニングの中央へ進み、華麗手つきで材料を混ぜ合わせ、一つのサラダを作り上げたのだった。


お客さんの目の前で調理するという斬新さ、そしてその美味しさが評判となり、世界中に知れ渡ることになったのである。そう、そのサラダの名前は「シーザーサラダ」である。現在ではコンビニやスーパーでドレッシングが売られている程身近なものであろう。もし、アメリカで禁酒法が施行されていなかったら、この素晴らしいサラダが生まれることはなかっただろう。